靴下のブログ

高血圧です

推し遍歴、靴下というオタク

私の推し遍歴について考えた。

私の家は英才教育、産まれた時からKinKi Kidsの曲を聴いてたし、名前を喋る前に硝子の少年を歌っていた。家にはいつも嵐のうちわがあって、家族が山Pのオタクになった時はみんなで横アリに行ったりした。

私だけ途中、どこからか道を踏み外し、

家族に育てられた王道美形ルートから、そうではない方向へと進み出した。

小学校6年生の時にはじめて1人でオタクを始めた。それまでは家族と一緒にみんなで応援してたから、意思というより自然な流れだったけど、12歳の私ははじめて1人で雑誌買ったりCD買ったりライブ行ったりし始めた。小学生のくせに12万くらい貯金があったので、その時期の雑誌は全部買ってたし、みんながプリクラなんて撮ってる横で私はDVDを積んでいた。

玉森裕太、この人はほんとに私のオタク人生の超基盤を作り上げてしまった人。

補導される時間のドリボの出待ち、見知らぬ40歳年上の同担の人に身内のふりをしてもらった。初めてジャニーズに手紙を手渡しした日は、触れた指だけ絆創膏で保護してた。

初めて行ったカラオケもキスマイの曲しか歌わなかったし、初めて行った原宿もジャニショ、お金はすぐに底をついたけど毎日楽しくオタクをしていた。

玉森裕太の顔面と、気だるさと、色味、アイドルという存在が好きで、

わりとチケ運のいい私は毎ライブごとに良席を当てて、銀テも必須、ファンサも貰って、

水鉄砲をかけられた時なんてありえないほど湧いていた。

家の近くでPV撮影が行われて、若さの特権で近くで見てても大丈夫だった。人生で1番近くで玉森裕太を見てた。

初めて行った少クラも偶然にもキスマイが来てた。あーこりゃ運命だわと思ったし、多分運命だったんだと思う。

中学2年生までのたった3年間なのに、

オタクとしての初めてを詰みすぎた。

何万使ったかわからない。多分20万くらい使った。担降りの時は14歳だった。

突然、玉森裕太以外にも金を払っていることに納得がいかなくなった。別に玉森裕太のことは今もどタイプの極みとして応援してるけど、その他のメンバーにお金を払うのが嫌で仕方なくなった。

玉森裕太以外のメンバーにファンサをされたライブがきっかけだった気がする。あと熱愛報道が多くて心折れたのもあった。夢見がちなオタクだったので玉森裕太小雪似のモデルとか小雪似のメイクさんとかとデートしてんの見て、小雪と付き合えよコノヤロウとか思ってしまってた。

キスマイを降りてからはさくらしめじにハマった。ありえないくらい現場に行っていた。中学2年生の冬から高校3年の夏まで、ほぼ毎週末が現場。そして本当に運がいいので、毎回最前ぶちかましていた。

多分オキニのオタクだったので、5秒に1回くらいファンサされてたし、周りからも知り合いですか?と聞かれてた。

普段もめちゃくちゃ遭遇するし、学校の行きとか塾の帰りとかに遭遇するたびに会釈してくれた。

手紙に書いた内容をブログで匂わせてくれることもあったし、勘違いオタクなので、

がくくんが「かるた部作りたい」とか言い出した時には本当にビビった。私がかるた部作ったよ〜百人一首ハマってるよーと言った次の現場でそんなこと言われたら普通に嬉しかった。がくくんがブログに百人一首の好きな歌とか紹介してるから、まじかよ汗汗とか思ってたし、

がくくんが西野七瀬のオタクだと気づいた時、私は周りから西野七瀬に似ていると言われることが多いので、勝手に喜んでいたし、シンプルに推し被りで笑った。

がくくんが好きなクリープハイプが私も好きで、行ったライブが被ってたことをのちのち知った時、知らないでよかったと思った。

スタッフさんとも仲が良かったので、現場の行きの電車でスタッフさんに会って喋りながら現場行ったりしてた。あーあ思えばこの頃が一番楽しかったかもしれない。

大きくなってくライブの規模、上手くなっていく歌とかギター、会う度に伸びている身長とか、全部嬉しかったし、

シンプルにオタクとして楽しんでた気がする。まだ激重感情オタクではなかった。

このしめじとかぶる形で色んなグループのオタクをしていた。

私がこんなに重たくて重たい感情を抱くようになったのは超特急コーイチのせいだ。

もう今となってはだらしない吉野晃一という男で、汚いしダサいし、イタい。

でも当時の私からしたら、いっつも夢見がちで儚げで、あんなに声はでかいのにいつ消えちゃってもおかしくない感じがするあの危うさが、本当に魅力的で、大好きだった。

辞めるってなって、最後のブログは、夢とか宝物とかそんな馬鹿みたいにシンプルで浅はかな言葉が並んでて、すっごい呆気なくて悔しかった。分かろうとしても絶対にわかることが出来ないところが好きだった。

言いたいことを簡単に一口で言えない、不器用な生き方とか、歳の割に老けすぎてるだらしなさとかが好きだったからこそ、

つまらない最後のブログはほんとに彼が書いたのか???と疑った。

脱退って言われてからしばらくSNSをやめた。私はツイ廃だったから、SNSをやめるなんてとても異常なことだった。

体調にも影響があった。ボロボロになった。

所詮死ぬのに、その限りある人生でわざわざアイドルをすることに命を使ってしまってることが大好きで、こういった価値観に出会ったのはコーイチのせいだと思う。

私はコーイチのことが大好きだったし、初めて脱退という、オタクが逆らえない運営の力というのを目の当たりにしたし、

1番しんどく感じたのは、周りのオタクに置いていかれる時だった。

私に見る目があったがために、私が世界で一番いい男を見つけてしまったがために、

私は置いていかれた。

グループとしての夢を、強く信じてたからこそ、置いていかれた。周りは、自担が頑張ってるからついて行かないと、みたいなこと言い出した。すごい腹が立った。

全然納得いかなかった。でも、今となったら良かったなと思う。コーイチのおかげでめちゃくちゃ思慮深いオタクになれた。哀愁深い解釈を得たし、アイドルってなんだろうとか考えたし、たぶんコーイチに出会う前より魅力的な人間になれた。

だからといって、今の吉野晃一を好きかと言われたら全く好きじゃない。たくさんのオタクを捨てて自分の夢を叶えに行ったくせに、夜中に病みツイとかしちゃったり。

幸せになってくれなきゃ困る。だって幸せになってくれなきゃ私が不幸になった意味が無くなっちゃう。暖かい飯食べて、風邪ひかないで寝て欲しい。お金になんて困らないで欲しい。

こんな感情に15歳とかで出会えてた私はなかなか魅力的だったと思う。

その歳はとても残酷で、各グループの推しがそれぞれ1人ずつ辞めていった。

もう後半には耐性がついてた感じもするし、

アイドルに夢を見るのもやめた。アイドルなんて所詮生きてる人間の選択であって、瞬間であって、判断であって、夢でもなんでもないことがある。

永遠とかの期待をしてしまえば、永遠ではないことを知った時に悲しくなってしまうから、いつか終わることを前提にアイドルを応援する。いつまで続くだろうか、ということだけを考えてライブにいく。

女の子のアイドルは魔法だけど、男のアイドルは呪いだと思う。

こんなに悲しい気持ちでも、アイドルを応援するしかない私は惨めだなと思う時がある。でも、そんな自分が好きだし、バカみたいだけど仕方ないと諦めてる。

SUPER★DRAGONは推しへの信仰的な解釈を与えてくれた。私の推し遍歴に数少ない年下の推し。少年が青年に変わる瞬間というのはやはり不安定で曖昧で危うくて、極めて神聖だった。

本当に神様の力のような美しい瞬間を沢山見た気がするし、たとえば古川毅なんて、私の恋愛観に介入してきすぎだと思う。

今でこそ芸能人でしかない彼は少し前まではただちょっとだらしない男だった。

顔な良さに甘えて楽しく生きてきたんだろうなという薄っぺらいところとか、神様が似合うところとかが好きだったし、

一生引きずってしまうのは当然だった。

彼氏と2人できのこ帝国を聴くとか、そういうことをしてしまいたくなる恥ずかしいオタクだった。

接触の時に、来世でも出会おうねと約束してくれたこと。来世まで約束する推しの嘘つき具合が妙にリアルで最高だった。来世で会えるわけないのだ。だって私は今世でも担降りをする。来世で彼がアーティストになってるのかも分からない。私は絶対信じていない来世を、彼はさらっと約束してしまった。

受験や、推しのビジュの変化で、なんとなく離れてしまったときに、

すのーまんに再会した。キスマイのオタクだった頃、並行してジャニーズJrのオタクだった私は結構波乱万丈なジャニオタ生活をしてた。だからこそ絶対もう戻らないつもりでいた。キスマイのバックにつくすのーまんは散々みてたし、ドラマとか舞台も見てたけど絶対好きにならないと思っていた。だって当時の私は夢見がちだったから、キラキラしかしてないアイドルが好きだったから、叶うか叶わないか分からない夢を不安定に追いかけるすのーまんを応援するような人間じゃなかったから、顔のタイプも違うし。

でも玉森裕太を好きだった私は、2014年とかのあの頃からふっかの顔だけは好きで、あとは佐久間が踊りすごいっていうのしか知らなかった。

再会してからみたすのーまんは、一瞬にして私の激重感情の宛先になった。

私はいい大人が夢をあきらめられないで、叶えてしまう瞬間なんて、見たこと無かったから、深澤辰哉さんの横アリ朝焼けの花のあとの挨拶を見て、目が離せなかった。

夢なんて時間かけてしまえば、呪いになるし、男の人を濁らせる厄介なものだと思ってたから、まさかかなってしまうなんてと思った。

もうわかったと思うが、私は新規だ。

デビューを夢見てるすのーまんのことは応援してなかった。だって見るのが辛いくらい私は信じていなかったから。すごく失礼なんだけど、だけど、悲しいだけだったオタク人生に少しだけ変化があった。

悲しいことばかりじゃないんだなって思った。深澤辰哉さんを見て思ったし、向井康二さんを見て思った。

幸せそうに笑う顔こそ少し切なくて綺麗だった。今に至るまでの長い時間を私は見ていないから、綺麗ごとになってから見る過去は、全てに意味があったと思えるけど、

やっぱり、叶うかわからず応援してたファンの人とはちがう。

すのーどりーむだって、私から見たら綺麗だけどきっと当時のファンからすればもっと色んなことを感じる曲で、

ラウールのメンカラの白だって、反発するオタクがいたのもわかる。