靴下のブログ

高血圧です

このブログ、今度こそ読みやすいように書きたいなって思ったんですけど、やっぱり無理そうです。

ライブみ終えて、とりあえず一夜越えてみれば案の定、朝は来て、何にもなかったみたいにいつも通りの生活が始まっていて、

でもこの世界は間違いなく「すのーまんのデビューライブが終わった世界」な訳で、今日の朝は間違いなく「すのーまんが新たなステージに踏み出した一歩目の朝」な訳で、そんな日にも私はいつも通りふかざあさんの猫背とかが好きで、いやいつも通りじゃないな、いつもよりも好きだな。

とかそんなことをぐるぐると考えている訳で、こんなこと読みやすく書ける訳ないんですよね、独り言垂れ流すようなブログです。お時間あるオタクは読んでみてもいいんじゃないんですかね、わからんけど。

私、すのーまん新規ですし、オタクとして先の見えない暗い時代の渦中にいたことってなくて、どちらかといえば、ずっとバックでかわいそうだなとかいう風に思ってたんですよ偉そうに。どう考えてもすのーまんってバックが板についていて、私はふかざあさんの顔ぐらいしか好きじゃなかったし、佐久間っていうダンスバキバキな人がいるとか、照って人の名前の読み方がてるじゃなかったとか、そんな程度。だから、今こんな風にしあわせのど真ん中にいる自分があまりにもいいとこ取りすぎて、嫌だなっておもいます。

そりゃ過去になっちゃえば綺麗事で、全てのことに意味があったように感じられるけど、実際渦中にいたメンバーやオタクには、当時者にしかわからない苦い思いがあるんだろうし、でもそれはもう私には一生わからないから、メンバーが昨日流してた涙の本当の意味とかを全てはわかることができなくって、あーあー、思いっきり線引きされた感じがして悲しくなる。

ふかざあさんに世界一しあわせになってほしいっていう気持ちでオタクしていますから、昨日、幸せですって、言葉つまらせながら言ってるのを見て、あーあー、こんな綺麗な人いるんだ、って思いました。なんだかんだ世界って辛いことが圧倒的に多くて、多いけど、こんなにしあわせなことも起きるんだなって、思いました。

私19年間生きてきて、ここまで不器用な人もなかなか見たことなかったし、そんな人の夢が叶う瞬間とかって見たことなかったから。むしろ、叶いそうにない夢の手前で逃げ出してしまうような情けない人ばかり見てきたから、夢って本当に叶っちゃうことあるんだ、、ってびっくりした。

横アリの朝焼けの花のあと「僕はこのステージに立ちつづけることに人生をかけました、だから皆さん愛してください」って言うふかざあさん見て、何も言えなくなっちゃった。人生で、こんな大きい感情抱いたことなくて、圧倒されちゃって、だって、10代の頃から諦めきれなかった夢を、26歳になってまだ諦めきれずに、アイドルっていうこんな曖昧なものに人生なんかかけちゃう人に、愛してくださいなんて言われちゃって。

こんな綺麗な人見たことない。びっくりした。

普段ヘラヘラしてて、みんなからいじられてて、先輩のことよいしょして、チャラくて、超調子よさそうに生きてるように見えんのに、誰よりもしんどい道をほふく前進くらい地道に進んでて、なんて生きるのが下手くそなんだって。

こんなに不器用な人が、たった一人で見つけた夢を、何万人のために叶えようと必死になってくれて、こんな人のこと、愛さない訳にはいかないじゃないですか。

そんなこんなで、昨日のライブ。

デビューっていうしあわせの絶好調から、メンバーの活動自粛と、デビューツアー無観客開催、最悪ちゃ最悪。これ以上何か失うものってあるか?ってくらいにはボロボロ。もう無くすものないくらい無くしきってんのに、なんでか、私は超しあわせのど真ん中にいる実感がある。なんで?

本音を言えば、デビュー発表からすぐにツアーを始めて回り切れたストが羨ましいし、アジアツアーなんて欲張るからこんなことになっちゃって悔しい。いいなーとか思った。けど、でもなんかいますごいしあわせの真ん中にいるんだってわかってる。デビュー年だから勢いがあるのかもしれないし、いつまでこんなに忙しくオタクできるかわかんないけど、でもなんか、今、とりあえずしあわせだなって思う。

真ん中に先輩を置いてバックしてた6人のすのーまんに、奇数、真ん中っていう概念が必要だったのはわかる。だから9人ていう選択は、私は少なからず正解だった気がする。いや、わかんない。もしも人生をやり直せるとして、メンバーがどこからやり直したいと思うのか、この選択でよかったって思うのかな、とか色々思うけど。

でも昨日のすのーまん見てたら急にわかった感じがした。なんも根拠ないし、私が好きだって思った相手みんな不幸になる傾向があるからちょっと怖いけど、なんか、もう大丈夫な気がした。

すのーまんは多分、辛いことをオタクと一緒に乗り越えてくれるような感じを見せてくるけど、本当に辛いことは見せてくれないんだろうな、全部を教えてくれる日は来ないんだろうな。結局は、見せてくれる部分だけをアイドルっていう概念として応援させ続けてくれちゃうんだろうな。優しすぎるんだよな、もうちょっと辛辣でもいいんじゃないかなって思っちゃう時ある。でも、そんな売り出し方でさえ、すのーまんの不器用さを感じて大好きだったりもする。むずかしいな、アイドルとオタク。

そう言えば、こないだのMステのジュニアでてたやつ。あれを見ながら思うことっていっぱいあった。みんながみんなしあわせになる方法ってないのかな、やっぱり誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立つのかな、とか考えちゃう。

残酷ささえエンターテイメント、って言葉、アイドルが言っちゃうような世界だもんな。

でも、そんなこと考えるたびに、デビュー発表時のふかざあさんのことも思う。俺の背中を見てジュニアを勇気づけられたらいいな、とか言っちゃうふかざあさん。

ふかざあさん、一体どれだけの人のことを考えて生きてきたの。自分のためだけに生きる人もいるようなこの世界で、自分以外の人のことを大切に生きすぎじゃない?優しすぎないか?

ふっかの優しさは人をダメにする、って言われたこともあったみたいだけど、私は、ふっかの優しさで一番苦しんでるのがふっかな気がする。し、だけどそこがふっかの良いところって言っちゃえばそれに尽きると思う。本当に生きるのが下手くそな人で可愛い。

渡辺さんが、飾らない言葉ででかい態度とってたのも、それでいて「自己中な俺を甘やかしてくれてる」って自覚あるところも、すっごい好き。ラウールに対して、若い立場を利用してみんなが言い辛いことを言ってくれるところに感謝してた渡辺さんが、昨日あんなスピーチしたこと。あーあーなんか、人間臭すぎてしんどいな。

脆い人たちすぎるんだよな、簡単なことじゃもう壊れないくらいたくさん傷付いたんだろうけど、それでもまだ涙を流せるほどの綺麗さを持っていて本当に尊いな。

向井康二ちゃんの人生だって、ドラマチックで波乱で、悲しくて切なくて、でもなんだかんだハッピーエンドに進んでるような感じで。でも全然、私的にはハッピーエンドには思えなくて。みんなが知ってる悲しい出来事以上の悲しい出来事があっただろうし、みんなが知らない一人の時間が流れてたんだろうし、それがあっての今だから、とか色々あるんだろうけど、確かに叶わなかった物っていうのは確実にあり続けてしまう訳で。10代の頃に見てた夢と今叶った夢とか。妥協ではなく方向転換なのかもしれないけど。っていうか、向井康二本人がしあわせだったいうんならもうそれ以上何にもいらんのだけど。

わかんないな、向井康二の叶えた夢っていうのは、向井康二にとっての夢というより、向井康二を応援する人たちの夢だったんじゃないかなとか思うんだよ、って、ずっと持ってたんだけど、そんなことも全部昨日のライブで吹っ飛んだ。なーんだ、この人たち今しあわせそうだなって、わかった。

 

ちょっと文量が多すぎて、全員のこと語るにはしんどいなとか思い始めたこのブログだけども。

でも結論述べますと、というか、あれだ今回はふかざあさんの話しようと思ってブログ書き始めたんだった、気付いたら一人づつ語りそうになってて自分うるさいなーってなった、話戻すと、

こんなに内面が魅力的すぎるふかざあさんのことを、エッチいなとかチャラいなとかそういう目で見てることに申し訳なさとか生まれ始めてるし、相変わらず猫背で最高だし、絶対黒髪がいいし笑っててほしくて、今日もふかざあさんを喜ばせるものだけがこの世に生まれ続けたら良いなとか思って、でも別に過保護オタクでもないので、ふかざあさんに急に降ってきた雨に濡れちゃいましたわらとか言われたらそれはそれでエッチいなーとか覆ってニヤニヤしてしまいます、でも傘は持ち歩くんだぞ。