靴下のブログ

高血圧です

1年が経ったので

私は性格上、過去にすがって生きるタイプで、現在進行形のことにはあまり感情が動きません。

あの頃の私頑張ってたなぁとかそういう自己満を繰り返す日々をやめたいと思って、

最近は今だけに固執して生きるように心がけるようになりました。


2018年1/16、コーイチの脱退が発表されました。


正直なところ、何度もあの日のことを思い出しすぎてだんだん曖昧に、そして脚色された記憶にすり変わっている気がします。


既に、1/15までのコーイチをただ好きでただ応援していた頃の感情は、そのままには思い出せません。

確か、コーイチの顔やダンス、そしてなによりも

不器用で恥ずかしがり屋で正直に気持ちを伝えたがらない彼の気持ちを、

胸いっぱいに感じることが出来るあの歌声が好きでした。


彼のブログの更新頻度に文句を言ったり、

彼の態度の悪さに不安になったり、

それでもやっぱりステージで輝くコーイチのことが大好きだったり、

色んな感情を抱いていました。


でも今は、もう過去なので、

綺麗事のように感じます。

あの頃の生の感情はもう一生思い出せないと思います。

悲しみのフィルター越しにしか、もうあの頃を思い出せないからです。


初めにも言いましたが、私は元々

過去に依存する人間です。だから、

もちろん今回のコーイチのことだって

散々引きずってきたし、これからも引きずります。


あの頃はコーイチくんと呼んでいた彼のことも、脱退直後は腹たって吉野と呼んでいました、コーイチくんの件でTLがコーイチで溢れていた影響でいつの間にかコーイチと呼ぶようになっていました。


こうやって、なんとなく少しずつ

変わっていくんだと思っていました

こんなに悲しい気持ちも1年が経つ頃には

忘れて、またなにかほかの人を応援してるのかなと。

2018年は、本当にたくさんのものを失いました。実際に心身共にズタボロになったし、

何を見ても感動しなくなりました。

どうせいなくなるなら何も応援したくないと思ったりもしたし、

帰ってきてくれないかなとも帰って来れないだろうなとも思いました。

コーイチが生きてればいいや、って

一生会わなくても今もどっかでラーメンでも食べて寝て、めちゃくちゃ太っても、

生きてればいいや、と思いました。


私は、あの頃のコーイチの姿を思い続けて、

進んでいくメンバーや8号車に嫌がられて、

社会に置いてかれて、

東京ドームの夢を一緒に見れなくなっても、

もういいやと思いました。


だから彼がSNSに現れた時、

涙が止まらないのとともに絶望しました。


残酷だな、と、死にたいな、と思いました。


もう誰も、過去に依存させてくれないからです。

コーイチがあのまま、私の知らないところで私の知らない人と私の知らない夢を追いかけてるなら、私はあの頃に依存して、

なんならあの頃のコーイチの幻と心中してやりたかった。


けど、コーイチは現在進行形の形でまた

私の世界に現れました。


吉野晃一であってもうコーイチじゃない

とか、でもそういうんじゃなくて、

この世界に吉野晃一はずっと存在してたし、

吉野晃一にコーイチを投影していただけで、

私が好きだったコーイチはもういなくて、


こんな答えもない、答えのいらないことばかりを脳内で繰り返していました。


ただ確実に言えるのは、

進むしかないということ。


発表直後は、メンバーや運営の切り替えの速さや、今まで一緒に夢見てきた8号車の対応力にも、正直びっくりしたし、怖かったし、あんなに約束してくれてた夢ってそんなものなのか、とがっかりしました。


考えれば考えるほど、

私たちが戸惑ってる時にメンバーが戸惑ってちゃいけない、とメンバーなりにほんとうに頑張ってくれてるんだなと思います。だからこそ、

こんなに8号車のことを考えてくれる超特急であるからこそ、

コーイチを脱退させないで欲しかった。


超特急が大好きで、1秒1秒最高が更新されてくあのステージが、あの多幸感が

ほんとうに大好きだったから、

その分悲しかった、


と嘆いてるけど


一生依存してやるつもりだったコーイチが

もうどこにもいません。

彼自身は前に進んでるし、周りを見てもみんな前に進んでるし、たとえ引きずっていてもそれを悟られないようにしている人たちがいる。

超特急が好きだから信じてついてく人がいる。しばらくして分かりました。

多分私が悲しいのは、コーイチを失ったこと、コーイチを失った超特急がスピードを止めないこと、そして、あんなに大好きだったのに私自身が超特急を信じてついていけなかったことなんだと思います。


コーイチの脱退は私の人生になにか大きな影響を及ぼすのかまだ分かりません。

何年も経った時に、どれくらいまだ悲しいのかも分かりません。

その時に超特急がどんなアーティストになってるかも分からないし、

コーイチが吉野晃一が何をやってるかも分からない。


1年が経ったのでやっと言えるのは、

未来は曖昧で、言霊なんか存在しなくて、

約束だって簡単に嘘になるけど、

それでも私には必要なツールなんだな、ということでした。


結局、悲しみも消えなければ超特急にもついていけてない。

こうやって、ブログに書くくらいには過去に依存してる。

コーイチの脱退は綺麗事には出来ない。

コーイチの脱退で私は大人になれた、とかそんなハッピーエンドみたいな締め方はできない。


それでもコーイチには世界一幸せになって欲しいと願ってます。

コーイチの自己満でもいいから、世界一幸せだと自覚する瞬間を迎えてて欲しいと願います。

超特急の夢や8号車の夢が叶うといいなと思います。


私も生きてかなきゃなと思います。

昨日よりマシになるように毎日頑張っていこうと思います。

過去になったらどうせ、いい思い出とか綺麗事になっちゃうんだから、

リアルタイムで、生の感情で、

幸せを感じられるように生きたいです。


長々とごめんなさい、